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トップページ > チャレンジ・プロデューサーの先人(福岡県飯塚市編:地域づくりの仕掛け人たち)
 
このレポートでは、それぞれのテーマを持ち、地域を変革していった仕掛け人たちに、思いや仕掛けてきたことを聞き、 まとめました。
これから、地域でチャレンジをプロデュースされる方の何かのヒントになればと思います!

福岡県飯塚市。人口約8万人余のこの町に、九州工業大学から発信したIT関連企業が47社立ち上がっている。政令指定都市を除く都市において大学発ベンチャーの起業件数としては、日本最多を誇る。
九州工業大学のお膝元であるからというだけではない。事実、卒業生の97%は、学生時代にすごした飯塚を立ち去って、別の地域に流出してしまうのだ。放ったまま何もしなければ、飯塚に拠点を構えようとする学生はごく僅かだったかもしれない。実際、日本の多くの地域では、身近に大学があるにもかかわらず、大学との接点が十分に持てていない地域も少なくないはずだ。また、大学にしても、地域との接点をどのように作っていったらいいか、考えあぐねているケースもあるだろう。

 飯塚にあったものは何か。それは、九州工業大学 〜そこにはITのスキルなどを持つ優秀な学生、そして、アジアを中心とする多数の留学生がいる〜 という地域の「資源」を、地域づくりの力に変えていこうとする「知恵」にほかならない。
 学生の力を地域の力に変える。その仕掛け役を果たした縄田修氏、斉藤幸二氏の2人、そして、九州工業大学を卒業し飯塚で起業したハウインターナショナルの正田英樹氏に、飯塚の今日を可能にした原動力について語っていただいた。

【参考】
・地域フォーラムレポート

●ゲスト
縄田修さん(ナワタ消化器外科医院)
斉藤幸二さん(一番食品株式会社)
正田英樹さん(株式会社ハウインターナショナル 代表取締役〔チャレコミ認定モデルCP〕)
聞き手・文/嵯峨 生馬(チャレコミ編集部)


―― 今日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。
今日は現在の飯塚市をつくることに、大きな力を注いでこられたお二人、縄田さんと斉藤さん、そして、その中でいろいろと悪戦苦闘しながらも事業を立ち上げてこられたハウインターナショナルの正田さんにお越しいただいています。
さっそくですが、正田さん、縄田さんと斉藤さんのご紹介をしていただけますか。

正田さん:はい。こちらにお越しいただいたお二人は、本当に私の大恩人のお二人です。私が右も左もわからないときから、ずっと資金的な面もメンタルな面でも本当に育ててくれた、お二人です。

縄田先生は病院の院長先生ですが、たぶん、医者と名乗らなければ、医者とわからない。(笑) ジャンルにとらわれない活動を行っている方です。もちろん、ドクターという基盤、生活力があっての話だと思うのですが、この飯塚で、留学生の支援に始まり、留学生が卒業後も、実際に挑戦できる場ということで、資金も含めて、また実際の色々な保障だとか、ビザとか大変なこともあるんですが、そういうお世話されたりとか、していらっしゃいます。また、海外の障害のある子どもに車椅子を送るようなボランティア活動で仲間を集めたり、また、命にかかわる大病を患った留学生を救うための運動をおこして、実際にその人を助けられたりとか。

本当に、まさに私利私欲なく、無私の心でこの飯塚で活動されています。ですから、地域の中で大変な信頼がありまして、私のような若い若輩者が、なかなか地域で信頼を得るのは大変時間がかかることをですね、縄田先生が、彼ら、やるんだから、頼むよ、と一言言ってくださるおかげで実際に応援していただけるようになる。 もし縄田先生に出会うことがなかったら、私は飯塚では間違いなくやっていくことはできなかった。そういう恩人でございます。

斉藤さんは、飯塚の地元に一番食品という食品会社を、ベンチャーから起こして、いまやスープにおいては日本一のシェアを誇る会社のオーナーでいらっしゃいます。斉藤さんは具体的な実務であったり、仕事の厳しさを教わりました。そして、本当に叱っていただきました。
いまでも、私自身、非常に未熟ですが、かつて私が右も左もわからない駆け出しのときに仕事で大変大きなミスをしたり、お客さんにご迷惑をかけたことが多々ありました。そんなとき、斉藤さんが、一緒になって応援していただいたり、ある時は我々の責任なのですが、顧客先に同行していただいて一緒に頭を下げていただいたりしたこともありました。本当に、何とこれから恩返ししていけばいいのか…。斉藤さんには、今も、私どもの監査役をしていただいています。


―― ありがとうございます。では、縄田さん、斉藤さんの順にお話を伺います。縄田さん、いま正田さんから、飯塚の地域におけるいろいろな活動、特に留学生への支援などのエピソードを紹介いただきましたが、縄田さんがそういう活動をされるにいたった背景などを、教えていただけますか。

縄田さん:僕はですね、飯塚というまちが、若い人たちが愛せるような地域になってくれると、ありがたいと思うの。 飯塚はね、大学卒業生の97%くらいが出て行ってしまう。でも、どうしたらここに残ってもらえるか。そのためには仕掛けがいる。正田くんも、そのうちの一人だけど、今はこの飯塚に47社のベンチャーができている。外人さんのベンチャーもできています。

僕が、若い人に言いたいのは、ここ4、5年が、この地域の将来性を作るだろうと踏んでます。国は金ありません。1000兆円以上の借金をもって、補助金もどんどん削減されていく。ならば、将来自分の地域をどう育てていくのか。これを本当に考えきらないと、ただマンネリで過去の延長のことだけをやっていた地域はたぶん廃れていくと思います。シャッターの店はますます増えるだろうと思います。 だから、特徴を出していかないと。 大学というものが、IT専門の大学だ。正田くんの言いだしっぺで、飯塚をアジアのシリコンバレーにしよう、ということも言ってくれた。

九州では、今から人口が増えるのは、福岡市だけで、他のところは全部人口は減る、と推定されています。福岡は、九州新幹線ができる、交通アクセスがよくなると、どうしても大都市に集中してしまう。飯塚もいま以上に福岡に持っていかれる危機があります。これを防ぐには、地域がどのくらい魅力を持っているかが勝負です。

海外に目を向けると、本当にがんばっている。 例えばシンガポール。シンガポールは、人口が約470万人ですが、そのうち留学生が10万人もいる。将来的には30万人にもなるといわれている。アジアの優秀な学生はみんなシンガポールに行くようになるかもしれません。 もっとすごいのは病院です。シンガポールの病院に入院している患者さんの20%は外国人だそうです。外国の患者さんを治しているんですね。 飲み水はマレーシアから買っている。だから水代が高い。じゃあ浄化槽つくろうということで、水を飲めるように浄化する。おしっこを飲める水に変えていく技術を開発したりしている。そういうことを、シンガポールは、かなり積極的にどんどんやっているんです。 日本には資源がありません。そういう意味では、シンガポールと一緒です。そうすると、シンガポールのような考え方もある程度はもたなくちゃいけない。

でも、あまり大きなビジョンを持っていっても、行政は動きません。危険性を伴いますから。 だから僕は、小さなことを少しずつ積み上げていって、行政にこうしたらいいでしょ、って言えるようにしている。僕はそれを “敷石作戦”と呼んでいるけどね。一つ一つ石を敷き詰めていって、道を作るという意味で。

――― アジアの留学生をサポートするということの背景には、海外のアグレッシブな若者に学ぶということもあるのですね。しかも、一つひとつできることから積み重ねていくことで大きな力になる。先ほど正田さんからお話がありましたように、縄田先生が地域で大きな信頼を得ているのも、そうしたことの結果なのですね。ありがとうございました。
 続いて斉藤さん。斉藤さんは正田さんの仕事を実務面からも支えていらっしゃるということでしたね。

斉藤さん:先ほど「厳しく」という言葉がありましたが、私としては、正田さんには本当に良くなっていただきたいという、その、親子のような気持ちの愛情表現だという風に思っています。  私は縄田の兵隊でして、縄田先生が夢を語って、そして、いろんな作戦を練る、私は兵隊役みたいなこと、手足が動くようなことを喜んでさせていただいているんです。(笑)
 
縄田先生からは、飯塚の人口のことが話題になりましたが、人口で言えば、だいたい1960年代と比べると、現在は約半分くらいになってる。77万人くらいいたのが、35年の間に45万人になっている。あと、20年もすれば半分になるんじゃないか。そんな心配さえあるんです。 福岡に一極集中する、少子化が進展する、そして産業がない。この飯塚をどうしたらいいんだという、本当に、切迫というか、緊張感がある。そういった中で、まちづくりしようしよう!って、周りに言ってまわっています。

正田くんのハウインターナショナルに関しては、縄田先生と私で、熱い青年がいると。飯塚に残って起業やりたいと言っている、これから飯塚は炭鉱はなくなっちゃうんだから、こういったITの産業を育てなきゃいかんと、言って回りました。 じゃあ、50万でいいですか、100万でいいですか。そしたら何とかできるかもしれません。というような方々が何十人と集まって彼の会社をつくった。それは、ただ単にITの会社ができたんじゃなくて、日頃から郷土の人と、熱く語って、方向性を考え、特徴をよく知る、弱点を知る、そういったこともいつも話した中で、生まれてきた一つのカタチなんです。

だから、ハウという会社は、野球チームでいえば、広島のようなものじゃないかと思います。あそこは市民球団だけども、この会社は市民企業。結局、飯塚の人たちは、正田さんの夢に投資をしたんですよね。だから、彼の会社の資本金の半分くらいは、飯塚の人たちが出しています。 でも、正田さんの会社が実際に何をしている会社か、何も分かってないんですよ。(笑) 私もわからない。(笑) ハウって何をするのかなと思いながら、でも出資しているんです。彼の夢のようなシリコンバレーの話を、どこかで信じているんですね。

湯布院 仲谷健太郎氏
SOHO@しずおか
小出宗昭氏
3
株式会社いろどり
横石知二氏
福岡県飯塚市
地域づくりの仕掛け人たち
笠間工芸の丘
久保忠雄氏

 

縄田修さん(ナワタ消化器外科医院)。留学生支援、ボランティア活動など幅広く飯塚のためにと活動されている
 
斉藤幸二さん(一番食品株式会社)。正田さんは具体的な実務や仕事の厳しさを斉藤さんから多く学んだ。
 
モデルCPなどの研修参加者は、飯塚での取り組みの中で、自分の地域でも応用できることはないだろうか、と、終始、真剣な面持ちで話を聞いていた。
 
 
 
 
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