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--謡曲や絵のような才能がない人でも、参加の機会はあるのでしょうか。
【中谷】 だいたい田舎というのは、地域の仕組みが、江戸時代以前から伝わっているんです。例えば、「家ごと、仕事、出ごと」という言い方があります。家ごとは自分の家の世話、仕事は勤めている作業ですが「出ごと」というのは地域のためのいろんな仕事です。出ごとに出ないというのは具合が悪い。そうやって地域をみんなで支えるのです。
仕事の場は、やらないと飯が食えんからやってるけど、優秀か優秀でないかで判断される世界で、優秀じゃないと捨てられるから、ひたすらがんばるしかない、能力があると認められるやつだけが生き残れるのが仕事の世界。それだけだったら、人間関係はズタズタです。
ところが、家ごと、出ごとの中にいると「あいつはあかんやっちゃ」という物差しはありません。変わっているやつはいるけれど、人を能力の到達度で図るのではなくて、変わったところがあるとか、そういう断面をそのまま引き受けるのが、家族や地域社会というものです。ただ、いまは家族もなかなか個人の断片を認めてくれないかもしれませんね。(笑) だから、「出ごと」は個性が認められる貴重な社会です。あいつは計算はだめだけど、字を書くのは上手だとか、些細なことかもしれないけど、そういうことを認め合って地域社会はできている。
「牛食い絶叫大会」も、そういう出ごとのひとつです。出ごとに出ないと、村八分になる、とまでは言いませんが、山の上で牛をさばいて焼いてシチューを炊いて、しかも重労働で、日当払っても誰も来ないだろうけど、なぜかみんな出て来る。出ないと地域の一員でなくなるような気がする。そういう場を造っていくことでいろんな人が出会い、存在できる。それが「出ごと」の意味です。
--27歳で戻られてきて、どこからきっかけを掴んだのですか?
【中谷】 いろんな会議に出ても一介の若輩者だから、議場を牛耳ることはできないですよね。発言する機会はあっても重くは受け止められないですし。
僕はどこの会でも最初にやったことは、書記をさせてもらってもいいですか、と言ったことです。それで断られたことは一回もない。というのも、みんなが嫌がることだからね。ところが、書記がその日の流れを最後にまとめ、以上でよろしいですかという、次の回も前回の流れを確認します、から始まる。なんのことはない、書記は議長なんです。(笑)
--他にされたことはどんなことですか?
【中谷】 あとは、うちやほかに3軒くらい、ただで集まって飲んでごろごろ泊まっていく部屋を造りました。我が家では“ごろごろ部屋”と呼んでいるんですが、取材の記者とかいろんな人、お客さんで偉い人だけど、その人が私たちの仲間であるということを示すために、お金をもらわないでタダで泊める、それがお客さんにはとても親しく感じられる、そういう空間を用意しました。
これ、非常に役立ちました。
営業空間での出会いだけじゃダメ、家族の空間でもだめ。営業と個人のハーフ&ハーフみたいな空間なんです。これも、昔からよくそういう風にしていたんではないですかね。離れがあったりして、良かったら泊まっていきなさいと、北斎や芭蕉や魯山人なんかも、そうやって田舎でもてなしを受けていたようです。
世の中で活躍している人は、あまり仰々しい歓待を受けると疲れてしまう。かといって、あまり親しくなって、家に遊びに来い、と言われても困る。その中間に、遊びのある個人空間を持つことが、関係を深めるのにはちょうどいいようです。
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由布院では、観光事務所の事務局長を全国公募で選ばれました。町の中の人材を起用しないで、わざわざ公募された方が活躍されているというのは、どういうお考えでされたのですか。
【中谷】 事務局の仕事は、理事者とその他をつなぐこと、仲介人間です。だから、イソップのこうもりみたいに、鳥なのか動物なのか、内部の人間か外の人間か、と言われるぐらいがいい。まったくのよそもので、一ヵ月で帰りますというのじゃダメだが、そうかといって、先祖代々を語る人も向きません。何かやろうとしても、相手の爺さまに選挙のときひどい目にあったなんて言われたら困ってしまいます。(笑) ですから、事務局長は町内外から公募して2年で契約し、みんなの総意が悪かったら2年で解約。いまの事務局長はもう7年になります。
長く一ヵ所に勤めて首がいつまでも安定してつながるという、そういうことにこだわっている人はこちらもいりません。ここでどれだけのことをしたかというのは、名刺の数で分かります。事務局長となった人が、ここにいる間にどれだけの名刺を手に入れたか、そしてその名刺を何十回利用したか。一度つかんだら離さない。そうしてくれたら2年でも4年でも6年でもここにいてくれていいんです。いま、事務局長は日本中の方々の名刺を1万枚ぐらいは持っているでしょう。明日からどこかに旅立ってもやっていける。(笑)
-- 事務局長のお話は、コミュニティプロデューサーにも非常に参考になりそうです。
最後に、チャレンジコミュニティでは、若者が全国の地域で活躍する「仕掛け人」たちのもとで修行できる機会をつくっていこうということで活動しています。学生が半年とか一年間、修行できる機会をつくりたい。そこで、27歳でこちらに戻ってこられて、いまの由布院を築かれた中谷さんに、若者に対するメッセージをいただきたいと思うのです。
【中谷】 うちの子どもも私と同じくらいの28歳で帰ってきました。おそらく、それぐらいの年齢は思い切った人生の賭けができる決断の歳なんじゃないかな。失敗してもまたできるという歳。
私も、27歳で由布院に戻ってきましたが、母親や弟たちの助っ人をしながら、東京では映画の仕事をしていたので映画の台本を書いたりして、ダメならもう一度取って返すこともできる、そう思いながら帰ってきました。冒険的というか、人生を選べる、そういう最後のチャンスなんですね。うちの息子はそれから7、8年経って35過ぎですが、息子を見てるとこれから改めて何かできるようには見えない。すでに安定に向かっているのかもしれません。失敗したときにもう一度立て直す、そういう感性をできるだけ失わないことが、「若さ」だと思います。

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参考
中谷健太郎氏の講演録
http://www.coara.or.jp/~yufukiri/kazenogakko/nakaya.html
●研究レポート【由布院編01】
由布院におけるコミュニティの形成
特定非営利活動法人KGC 理事 玉岡
剛
●研究レポート【由布院編02】
ただ、カリスマのいる街でない
NPO法人G-net 秋元 祥治 |
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